夏に展示する作品の制作がおわった
新しいことがたくさん見えて でもそれはもともと知っていたことなんだけど
目の前に表れてきてはじめてわかるというのがおもしろい
光をつよく画面に意識して描いてきたけれど
つよく意識せず でもよくみると全体に広がっている まんべんなく調和している
近寄ると広い画面のある一点しか見えない
見えている部分ははっきり見えるし捉えられているけれど
視界の外につながる(焦点を合わせていない)部分はほんものの波のようにゆらいでいるのが 注視していない(できない)からこそ見える
後ろにひいて全体を見るにも大きすぎて やっぱりゆらゆらしている
10メートルくらいうしろに下がれば全体がやっと捉えられるかもしれないけれど
そのとき見えるのは 青 とか 水 とか 現象じゃなくて固有名詞のなにかになっていると思う
でも絵は近寄れるから 見ようと思えばある一点にいつまでも眼をこらすことができるから 近くで見えてくるものも正解 遠くからそれを名付けるのも正解
でも本当は 捉えきれないその 動いている状態ぜんぶが一番正解 に近い
朝の光と昼の光と夜の蛍光灯によって ぜんぜん変わってしまうから
色の情報が入れ替わってるのを 描くときはほんとうにもどかしく思うけど
それでも近寄ったり離れたりしながら何度も往復しているうちに
一枚のこの限られた面の中で パズルみたいにかちっとはまる瞬間がある
次の日みたら変わることもあるんだけど それは絵が変わったんじゃなくて
自分の眼が変わってるから 私も動いているその状態が一番正解に近いから
やっぱりある瞬間に 自分の意志で うむ、今おわれる っていうのを
決める力が 必要なんだな
そうしたら 次の絵のこと 考えられるようになる その繰り返しなんでしょうね
ひとつ制作を終えて家に帰る帰り道がいつもすごい
同じ風景 同じ家をずっとみていると思ってたのに 懐かしさより新しさのほうが多くてドキドキする
風景もまた 流動している状態なんだな ぜーんぶそうなんだな
これも 毎度わかっていることだけど 毎度驚く 毎度生まれ変わるきもち
ああほんとうによかった! みてもらいたい絵が描けた
そして これほど写真におさめるのがむずかしい絵ははじめてだ
だからこそ みなきゃ みてもらわないと と思う
バタッ
(写真載せても意味が無い意味が無い意味が無い でも部分)