倉敷滞在記15(完)

倉敷から東京に戻ってきました

今でも朝起きるとたまに 倉敷で住んでいた部屋じゃないことにハッとしたりします

明日からは別府に行ってきます

今のうちに言葉にしておこう 思い出してみよう 長いですよ

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慣れ親しんだ自然光のアトリエを撤収  トラックに積み込まれた作品

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翌日 絵が美術館に 今回は30号のキャンバスを20枚連ねてひとつの作品にしました 微妙な調整 たいへんな設営作業 日通さんが頼もしい

 

アトリエでは こんなふうに制作していました

1

大きな 全体をみる視点の絵  でも 絵を描く行為は目の前の一筆から

2

一枚一枚目の前に引き寄せて描いては 全体と合わせていく作業

3

一枚一枚が 部分でもあるし 一枚の絵としても成立するように

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毎日の暮らし 朝起きてご飯を食べ アトリエまでの道を自転車で走って こつこつとしか進めることができない絵を描いて 家に帰るの繰り返し

近くにいる人との会話 出会い たまに遠くにいる人との会話 ラジオから届くだれかの日常 だれかの非日常 うねりのエネルギー 大きな問題 些細な悩み

小さくこころ奮える瞬間 毎日の感動 たまにある劇的な変化

絵がうまくいかないときのどうしようもできない気持ち

ひとりで寂しいとき

人とはなしてこころが広がるとき

人とはなして余計寂しくなるとき

みんながばらばらに生きていてさみしいとき

ばらばらに生きているから嬉しいとき

なんでこんなにも 瞬間瞬間 自分の目線 景色 風 人 いろいろなものの影響で 伸びたり縮んだりするんだろう

これはこうだ!と思った瞬間にちがうものに変わっていく今

その全体と そのひとつひとつを永遠に留めたい

たくさんの人間と その人間が動いて起こしたたくさんの波 ある一瞬

0.1秒後にはもう変わってしまうその瞬間を 3ヶ月という時間をかけて描きました

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あるものが目の前にあらわれるとき その後ろに果てしない「これまで」があること

ひとりの人間に出逢う その人の今の印象や言葉の裏にも 果てしない「これまで」があったこと

そのある一瞬に 出会う すごいすごい

でもそれはすぐに「これまで」 になってしまうから なにもかも追い続けるなんて無理だ

でも そのある一瞬には ぜんぶがある

絵は それをこころゆくまで みていける

でも 絵がみるたびにその印象を変えたり 新しい発見があったりするのは

絵が変わったのではなくて 自分の目線が瞬間瞬間変わっているからで

絵はそれを映す

そういう絵を描きたかったです

無数の とるにたらない 言葉にして表現もされないような心の揺れや 毎日の 矛盾だらけのさまざまな想い

それは ぜんぶほんとうで ぜんぶあったこと

ダイヤモンドがきらきらと輝いてその印象が固定されないのは そのカット面が 外の世界のさまざまなものを色々な角度から反射するから

人の目線が一ミリ動けば 別の面がきらりと輝く

遠く離れればそれは ダイヤモンドだね とわかるけれど

近づくとそれは もうなにをみているんだかわからない けど その両方の認識はこころになにかを呼び起こす

絵は平面だけれども 私は多面体のようなものをイメージしていました

波のでこぼこが 人のでこぼこが 光を反射する

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今回の絵の中に 光 と思うような 面で描いた白っぽい部分がある

絵を描いているうちに 人間も波も そこに吸い込まれるか もしくはそこから湧き出るか そういうふうに見えてきた

ただのしろっぽい面 塗ってある面

ここが未だに謎なんです 光なのか穴なのか なんなんだ

うーん よく考えてみます

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美術館に絵が飾られたとき アトリエでの絵とはぜんぜん違って見えて少しショックだった

もう違ってしまっている!

眼が 光が 状況が 少し変わっただけでもうこんなに

良いのか悪いのか 判断がむつかしかった

それで 展示のライティングをするときに どうしても絵のイメージを アトリエでみたときのかんじに近づけようとしてしまっていた

今美術館にある絵が ぜんぜん違う人みたいになっていたから

わたしが知っていて 好きで 慣れ親しんでいたころになんとか近づけようと

でも途中で気づいて

アトリエで刻々と絵にあたる光が変わっていくことに最初は描きにくさ 戸惑いがあったけど そうやって変わっていくという状況を最後は受け入れて それが自然で それが美しいと思えるようになっていて

一瞬の移り変わりに気づいたり それに会わせて自分のきもちも変化させたりできるんだと 思ったんだった

つまり 美術館というこれまでとはもうぜんぜん違う場所にきて 絵は

そりゃそうだ 変わるんだ

あたらしい見え方 あたらしい光 それにドキドキしながら それを受け入れようと思った

美術館の中で唯一自然光の入る展示室に飾られた絵は ここでも一日 天気の変化で絵の色も変わる

その「変わっていくこと」という状況はアトリエと同じであるということがうれしかった 絵をみる人は 様々な場所から さまざまな気持ちで 数々の名画をみたあとに このわたしの絵にたどり着く

そこまでの 千差万別の人の気持ちと 絵が そのときの光で出会う 瞬間

「絵と眼が合う(逢う)」

わたしはこの絵が大原美術館に展示されている期間 そのことを想像して

めちゃくちゃうれしいです

ああ うれしくなってきた

でもなんかさみしい なんだ

柳沢さんが書いてくれたキャプションの文章に

「今という時への思慕」 という言葉があったけれど

思慕 という思いはたしかに近い 思うという行為の中に 嬉しいもあるけれど寂しいもある

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一瞬の絵を描いたけれど 一筆一筆は「今」の無数の重なりで

絵は 過去にはならない と思った

そこに今のまま 永遠に定着すると思った

それが 美術館という状況に置かれることで なおさらその「これまで」と「これから」が くっきり意識された

大原美術館の「これまで」を知ることができた そこに連なる「今」の人達に出逢うことができた

その中にわたしの絵が「今」有る

そしてその場所で いろいろな人の眼と絵が出逢う瞬間があるかもしれない という「これから」

その全体を 絵に想う 想っています

それはやっぱり とても勇気の湧くことです !

 

おしまい

 

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ありがとうございました!!!