BLOG : 2015/06

倉敷滞在記3

倉敷にきて2週間 なにもかもがあたらしく眼に食い込んでインプットインプットの処理が追いつかない日々でしたが

ここ数日でようやく 眼が 手が 生活が定着してきた

そして絵へのアウトプットがすこしづつだけどスムーズになってきた !

しかし先週はいろいろあってたのしかった たくさんのことを思った

人にもたくさん会ったし話しができた 今まで俯瞰するように見ていたものが

クローズアップされて 知ることができてうれしい 倉敷の人、美術館の人、アーティスト、とにかく 人と身の回りの景色を手がかりに

なんとか倉敷に 潜り込む

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アトリエは雨の日も良い

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ねこ

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朝 水がプルシャンブルー!

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備前で遠赤外線を浴びた

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いぬ

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タイカレー弁当 どうしてもカレー

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ようやく絵と手がうまく動くようになって作業が進んだ日 アトリエがすごすぎるたそがれの光だった

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写真では伝わりきれない ずっと見てたい

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この日はたくさん寄り道をして帰った きれいな光を探しながら帰った

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グレーシー幸田…。

倉敷滞在記2

今日は生ビールのみました。美味しいもの食べました。
いろいろな人と話せて楽しかった。
鈴木さんの展示をみて刺激受ける。よい一日。

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毎日のアトリエ通いがたのしい まるで迷路のような水路の脈
それに沿うように気まぐれに自転車はしる
するといい景色に急にでくわす

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へんなきのこ

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ころがしてあそんだ
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保温弁当箱にカレー弁当を詰める毎日
毎日カレー 毎日お昼ご飯が楽しみ

倉敷滞在記1

今日からアトリエを使える

三ヶ月のあいだ ほとんどの日々を家とアトリエの往復で過ごす

いつもは その地域に入り公開制作したり なんや人目にふれながらの生活や制作が多いけれど 今回は基本ひとりきり

こういうとき 行き帰りにみるものが制作の鍵になってくるとわかってる

というか 行き帰りにみるものが眼にたくさん飛び込んで来る

基本 そのメモと写真

あと ひとりきりで過ごすと言葉がこもるので

アトリエツイッター(かつて横浜の寿町のドヤに暮らして制作した時にやっていたドヤツイッターと同じ仕組み)をやっていこうと思います

がんばるぞ っ

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アトリエには電気が無い おひさま頼みだ
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小さなラジオをゲットしました これでFMくらしきを聴く
大原美術館のラジオもあるらしい(でるらしい)
アトリエは音が反響するので 音楽を聴いたり歌ったりするのに最適

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稲がそよそよ

 

 

 

わくわく混浴デパートメント

2009年に「別府現代芸術フェスティバル 混浴温泉世界」の企画で参加した「わくわく混浴アパートメント」から6年。

最終回となる混浴温泉世界2015の中で、「わくわく混浴デパートメント」になって再登場。
この別府以降、生活も体質も性格も絵も態度も好き嫌いも変わったとはっきり自覚しています。
また別府に行くことができて嬉しいなあ。
先日、作品を設置しに一泊別府へ行ってきました。別府の街は居れば居るほど過去の記憶を失っていく竜宮城みたいな場所です。たった一泊なのにやることが(遊ぶことが)ありすぎて、すぐさまねんごろになってしまいました。
この「わくわく」企画は、居れば居るほど面白いのですが、今回はぜーんぜん滞在ができないっ残念。
9月のフィナーレ期に、駆けつけます。
ねんごろになりたい、お金はなくても時間はあるアーティストの人、ぜひ行くとなんかもうすごいと思います。
会期は7月18日(土)〜9月27日(日)
詳しくは

混浴温泉世界
http://mixedbathingworld.com/v

わくわく混浴デパートメントブログ
http://onsenwkwk.exblog.jp/

ツイッター
https://twitter.com/wakuwakubeppu

倉敷にいってきます

18日から約三ヶ月間 倉敷にある大原美術館のレジデンスにいってきます !

夏だ 旅だ みのまわりにある美しいものとの出会いと絵画の探求です

 

メモ

夏に展示する作品の制作がおわった

新しいことがたくさん見えて でもそれはもともと知っていたことなんだけど

目の前に表れてきてはじめてわかるというのがおもしろい

光をつよく画面に意識して描いてきたけれど

つよく意識せず でもよくみると全体に広がっている まんべんなく調和している

近寄ると広い画面のある一点しか見えない

見えている部分ははっきり見えるし捉えられているけれど

視界の外につながる(焦点を合わせていない)部分はほんものの波のようにゆらいでいるのが 注視していない(できない)からこそ見える

後ろにひいて全体を見るにも大きすぎて やっぱりゆらゆらしている

10メートルくらいうしろに下がれば全体がやっと捉えられるかもしれないけれど

そのとき見えるのは 青 とか 水 とか 現象じゃなくて固有名詞のなにかになっていると思う

でも絵は近寄れるから 見ようと思えばある一点にいつまでも眼をこらすことができるから 近くで見えてくるものも正解 遠くからそれを名付けるのも正解

でも本当は 捉えきれないその 動いている状態ぜんぶが一番正解 に近い

朝の光と昼の光と夜の蛍光灯によって ぜんぜん変わってしまうから

色の情報が入れ替わってるのを 描くときはほんとうにもどかしく思うけど

それでも近寄ったり離れたりしながら何度も往復しているうちに

一枚のこの限られた面の中で パズルみたいにかちっとはまる瞬間がある

次の日みたら変わることもあるんだけど それは絵が変わったんじゃなくて

自分の眼が変わってるから 私も動いているその状態が一番正解に近いから

やっぱりある瞬間に 自分の意志で うむ、今おわれる っていうのを

決める力が 必要なんだな

そうしたら 次の絵のこと 考えられるようになる その繰り返しなんでしょうね

ひとつ制作を終えて家に帰る帰り道がいつもすごい

同じ風景 同じ家をずっとみていると思ってたのに 懐かしさより新しさのほうが多くてドキドキする

風景もまた 流動している状態なんだな ぜーんぶそうなんだな

これも 毎度わかっていることだけど 毎度驚く 毎度生まれ変わるきもち

ああほんとうによかった! みてもらいたい絵が描けた

そして これほど写真におさめるのがむずかしい絵ははじめてだ

だからこそ みなきゃ みてもらわないと と思う

バタッ

 

(写真載せても意味が無い意味が無い意味が無い でも部分)

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